Monday, January 30, 2006

ブンガク

1月10日に、
訳というのはつまらない、といったようなことを書いた。

そこでの趣旨は、訳したあとの文というものは、原文の持つ味が抜けてしまうというところにあって、文体そのものの持つ力よりも、その文もしくは作品自体に力があれば訳したものでもかまわない。

個人的に、文体に力を入れた作家中上健次のファンであるので、彼の作品の魅力、言の葉、の力を訳すのは無理だろうなあ、と思ったのがそもそもの発端であって、いろんな優れた作家がどんどん訳されて評価されるのはいいことだと思う。

ただ日本の文学(昔のね)、というのはしっかりとしたストーリーラインがあって、読者を引き付け最後まで離さない、というより、微妙な味わい、機微雰囲気、といったところに重点が置かれている作品が多いかのように思える。読んだ限りではの話。

ここに日本の文学の強みであり、弱点がある。
すなわち坂口安吾が「戯作者論」(だったかな)で語った
「すべて何となく、雰囲気でわかったようなわかってないような気分になって結局は ’曰く言い難し’ で終わる」
彼は続けて
「センセイ方は面白くないのが文学だと勘違いしているのではないか。面白く書くのが当たり前だ。」
そんな彼は面白くないものもたくさん書いたが、落語を彷彿とさせるテンポのいい面白いものも書いた。
ペーパーバックではでてないけど。

訳、で危険なところは、作者の意図したところと、訳者とのそれが違ってしまう可能性もあるところではないか。
小林秀雄はランボーを訳したが、いろいろ間違いもあったようで。それを補って有り余る功績を残したんですけど。フランス語なんて読めないしな。あと堀内大学って人もいたな。

で結局なにが言いたかったかというと、うーん本はおもしろければなんだっていいんじゃない?ってことかな。

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